2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催に伴う新型コロナウイルス感染拡大リスクに関する提言
2021年6月18日、政府の新型コロナウイルス感染症対策に助言をしてきた尾身茂氏ら感染症の専門家有志が、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会、政府等に、大会開催に伴う感染拡大及び医療逼迫を招かないための提言書を提出しました。提出者は次の通りです。
阿南英明 今村顕史 太田圭洋 大曲貴夫
小坂 健 岡部信彦 押谷 仁 尾身 茂
釜萢 敏 河岡義裕 川名明彦 鈴木 基
清古愛弓 高山義浩 舘田一博 谷口清州
朝野和典 中澤よう子 中島一敏 西浦 博
長谷川秀樹 古瀬祐気 前田秀雄 吉田正樹
脇田隆字 和田耕治 (五十音順)
同日18時に、日本記者クラブにおいて、提出者を代表して尾身茂氏(独立行政法人地域医療機能推進機構理事長)、釜萢敏氏(公益社団法人日本医師会常任理事)、中澤よう子氏(全国衛生部長会会長)、中島一敏氏(大東文化大学スポーツ・健康科学部健康科学学科教授)、前田秀雄氏(東京都北区保健所長)、脇田隆字氏(国立感染症研究所所長)が記者会見を行いました。
より多くの方に知っていただき、共に考えていただきたいとの思いから、会見時に準備した資料と提言書本文をnoteとして公表いたします。ノーカット映像も併せてご覧ください。
提言書のPDF版はこちらよりご覧いただけます。
また、新型コロナ専門家有志の会として日本新聞協会及び日本民間放送連盟に「オリンピック・パラリンピックの際の感染対策を涵養する報道様式」について要望書を申し入れましたのでこちらの記事もお読みください。
骨子
1. 多くの地域で緊急事態宣言が解除される6月20日以降、東京オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、本大会)期間中を含め、ワクチンの効果で重症者の抑制が期待できるようになるまでの間、感染拡大及び医療逼迫を招かないようにする必要がある。ワクチン接種が順調に進んだとしても、7月から8月にかけて感染者および重症者の再増加がみられる可能性がある。また、変異株の影響も想定する必要がある。
2. 本大会は、その規模や社会的注目度が通常のスポーツイベントとは別格であるうえに、開催期間が夏休みやお盆と重なるため、大会開催を契機とした、全国各地での人流・接触機会の増大による感染拡大や医療逼迫のリスクがある。
3. 観客の収容方法等によっては、テレビ等で観戦する全国の人々にとって、「感染対策を緩めても良い」という矛盾したメッセージになるリスクが発生する。大会主催者におかれては、このことを十分に考慮して、観客数等を決定して頂きたい。
4. 無観客開催は、会場内の感染拡大リスクが最も低いので、望ましいと考える。もし観客を収容するのであれば、以下の3つの点を考慮いただきたい。
イ) 観客数について、現行の大規模イベント開催基準よりも厳しい基準の採用
ロ) 観客は、都道府県を越えた人々の人流・接触機会を抑制するために、開催地の人に限ること、さらに移動経路を含めて感染対策ができるような人々に限ること
ハ) 感染拡大・医療逼迫の予兆が探知される場合には、事態が深刻化しないように時機を逸しないで無観客とすること
5. 大会主催者は行政機関とも連携し、不特定多数が集まる応援イベント等の中止と飲食店等での大人数の応援自粛の要請と同時に、様々な最新技術を駆使した「パンデミック下のスポーツ観戦と応援のスタイル」を日本から提唱して頂きたい。
6. 政府は、感染拡大や医療の逼迫の予兆が察知された場合には、たとえ開催中であっても、躊躇せずに必要な対策(緊急事態宣言の発出等)を取れるように準備し、タイミングを逃さずに実行して頂きたい。
7. 大会主催者及び政府は、これまで述べてきたリスクをどう認識し、いかに軽減するのか、そして、どのような状況になれば強い措置を講じるのか等に関する考え方を、早急に市民に知らせ、納得を得るようにして頂きたい。
8. 大会主催者は、本見解の内容をIOC(国際オリンピック委員会)・IPC(国際パラリンピック委員会)にも伝えて頂きたい。
1. はじめに
私たちは、2020年当初から政府や都道府県等に対し、新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)の対策について助言してきた専門家の有志です。
私たちは、2020年オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、本大会)の開催の有無やそのあり方について、判断・決定する立場にありません。
しかし、国内で既に存在している感染拡大・医療逼迫のリスクに加え、本大会が開催されれば、国内の医療にさらなる負荷がかかる可能性があります。このため、本大会に関連するリスクの評価及びそのリスクの最小化に向けた私たちの考えを述べることが責務だと考え、提言をとりまとめました。
この提言の目的は、2つあります。まず、多くの地域で緊急事態宣言が解除される6月20日以降、本大会期間中を含め、ワクチンの効果等により重症者数の抑制が期待できるようになるまでの間、感染拡大及び医療逼迫を招かないための提言をすることです。そして、本大会に関連して大会主催者や関係者に適切な判断をして頂くため、直接的および間接的なリスクを評価することです。
2. 世界の感染状況
世界の新型コロナの感染状況をみると、今もなお、1日あたり約40万人の感染者と約1万人の死亡者が報告されています。北半球では、特にアジアのこれまで感染者の少なかった国でも感染者が急増する国が見られています。南半球のアフリカ・南アメリカの多くの国々では、感染者の増加傾向が見られています。
北半球のうち、欧州や北米などの先進国では、感染者数が減少しています。ワクチン接種の促進が感染者数の減少に貢献したことは事実ですが、そのほかにも各国で取られてきたロックダウン等の対策や気候など、様々な要因が影響したと考えられるため、ワクチン接種がすべてではないことに留意すべきです。実際にワクチン接種が相当程度進んでいる英国でも、感染者の増加は確認されているため、今後の動向には注意が必要です(図1)。
米国でも、一部の地域ではワクチン接種率が高いにも関わらず、感染者が増える傾向にあります。
さらに、まだ新型コロナの大きな流行が起きていない国や、変異ウイルスの影響をほとんど受けていない国々もアフリカ・大洋州などに多く存在しています。これらの国の多くは、医療資源の乏しいことに留意が必要です。
3. 国内の感染状況
現在、世界的に見ると、日本国内の人口あたりの新型コロナ感染者数は、比較的少ない状況にありますが、通常の医療の提供との両立が困難な状況となったため、2021年6月20日まで10都道府県で緊急事態宣言が発出されていました。これらのうち1県では緊急事態宣言が7月11日まで延長となり、7都道県ではまん延防止等重点措置に移行しました。
人々への外出自粛の要請、飲食店での酒類提供制限や時短営業の要請などの手段により、人流や人々の接触機会を減少させ、新規感染者数を減らすための措置が現在も進行中です。
本大会の主たる開催地となる東京都は、新規感染者数が下げ止まりとなりつつあり、人流の増加に伴う感染者数の再上昇が強く懸念されています。
4. 6月下旬以降の感染拡大と医療逼迫に関するリスク
(1) 大会の開催にかかわらず存在するリスク
これまで、新規感染者数が減少し、緊急事態宣言が解除されると、繁華街などの人流が増加し、新規感染者数は、約2~3週間後には再び増加し始めるという経験をしてきました。
現在の感染状況は比較的落ち着いているように見えるかもしれませんが、緊急事態宣言発出中であったにもかかわらず、既に首都圏の人流は、増加の一途をたどっていることから、7月にかけて感染が再拡大する蓋然性が高いと考えられます(図2)。
特に夏季は、旅行や帰省により、人々が長距離の移動を行い、普段は一緒にいない人々との間での接触機会が増え、これまで感染が落ち着いていた地域でも、急に感染拡大する可能性が高まります(図3a、図3b、図4)。
さらに、私たちは、首都圏で感染が拡大すると、時間をおいて全国に感染が拡大するという経験もしてきました。そのため、7月下旬のオリンピック大会の開催を契機として、人々が県境をまたいだ移動を行い、人流・接触機会が増えることにより、全国に感染が拡大するリスクがあります。そして、8月下旬にパラリンピック大会が開催される頃には、重症患者数が増え、医療提供体制への負担が発生するリスクがあります(図5、図6a、図6b)。
変異ウイルスの動向については、現在、国内ではアルファ株が主流ですが、デルタ株も少しずつ増えてきています。このデルタ株はアルファ株に比べ、感染力がさらに強いことが示唆されています。そのため、変異ウイルスの影響により、感染拡大のスピードがこれまでより上昇する可能性もあります(図7)。
現在、ワクチン接種は、医療従事者と自治体関係者のご尽力により、高齢者を中心として進められています。発症や重症化予防に有効だと考えられるワクチンであるため、7月末までにさらに接種を促進することによって、今後の高齢者の新規感染者数と重症者数は減少すると期待されます。しかし、接種していない高齢者や、接種に至っていない中壮年層には一定の重症化リスクはあり、急激な感染拡大により重症者数の増加、医療逼迫の可能性があります。こうしたことが起こればワクチン接種体制にも大きな影響を与えかねません。
(2) 大会開催に伴って新たに生じうる感染拡大のリスク
本大会開催に伴って生じうる感染拡大のリスクには、a.大会主催者が責任を持って制御する感染リスクと、b.大会主催者、政府、開催地の自治体が連携して制御する感染リスクとに分けられます。
aについては、大会主催者において議論と準備がなされてきました。大会主催者を中心とした努力により、感染リスクの制御がなされることが期待されます。
しかし、bは大会主催者、政府、開催地の行政機関が一体となって取り組まないと制御できません。さらに、bの感染拡大及び医療逼迫を誘発するリスクは、aに比べて極めて高いと考えられますが、bについての議論はほとんどなされてこなかったと言えます。従って、本文書では、bの重要性を強調して述べます。
a. 大会主催者が責任を持って制御する感染リスク
① 競技関係者間でのクラスター発生
競技関係者間での感染拡大のリスクは、大会主催者の取り組みによる制御が期待されます。ただし、ワクチン未接種者もいること、検査の技術上の限界に留意すべきです。
② バブルからバブル外への感染流出
選手以外の大会関係者(スポンサー、報道関係者等)については、選手に比べると感染をバブル外に広げるリスクが比較的高いと考えられます。プレイブックの遵守を確実にする対策が必要です。
③ 会場内の感染拡大
無観客とすることは、感染拡大のリスクを最も軽減できます。
観客を入れた場合には、その上限が大幅に制限されるとともに、プレイブックが確実に遵守されれば、会場内での感染は制御できると考えます。
しかし、観客数が増えるほど、必要なスタッフ(ボランティアや警備など)の人数も増え、感染対策の徹底が難しくなり、感染拡大のリスクが高くなります。同じ観客数でも地域の流行状況によっては感染拡大のリスクが高まります。
④ 大会を契機とした諸外国への感染拡大
本大会期間中にバブル内での感染対策が徹底されないと、本大会終了後に選手や大会関係者が世界各国に帰国することによって、感染が拡大するリスクもあります。
b. 大会主催者、政府、開催地の自治体が連携して制御するリスク
① 大会開催に伴う人流・接触機会の増大のリスク
本大会は、その規模及び社会的注目度において、通常のスポーツイベントとは別格です。
大会組織委員会作成の資料によれば、本大会のピーク時の一都三県の会場における1日あたりの販売済みチケット数は約43万人です。一方、例えば、一都三県のある1日の観客動員数をみると、プロ野球は約4.7万人、Jリーグは約0.7万人です。様々な種目の競技会が、東京都を中心に短期間に集中して行われるため、本大会は明らかに規模が大きいといえます。観戦のための都道府県を越えた移動が集中して発生し、人流・接触機会や飲食の機会が格段に増加することが見込まれます。
そもそも、これまでの経験から、恒例行事や休暇等を契機にした人流・接触機会の増加は、感染拡大に寄与することがわかっていますが、本大会は多くの市民にとって、一生に一度の記念にもなる非日常的なイベントであり、社会的注目度が高いものです。そのため、飲食店、自宅等で、いつも一緒にいない人、久しぶりに会う人との間で飲食機会が増えると、感染拡大リスクの高い場面が発生します。
パブリックビューイングや応援イベントも、人流・接触・飲食の機会の増加につながることが予想されます。観戦で高揚感を高める人々が、路上での不特定多数の集団間でのハイタッチ等、感染対策への警戒心が薄れた行動を取るリスクもあります。
② 市民が協力する感染対策にとって「矛盾したメッセージ」となるリスク
観客がいる中で深夜に及ぶ試合が行われていれば、営業時間短縮や夜間の外出自粛等を要請されている市民にとって、「矛盾したメッセージ」となります。
感染対策が不十分な状態の観客、応援イベントや路上等で飲食しながら盛り上がる人々など、人流・接触機会の増大を誘引するような映像がテレビ等を通じて流れると、感染対策に協力している市民にとって「矛盾したメッセージ」となります。
こうした「矛盾したメッセージ」が届くことは、人々の警戒心を自然と薄れさせるリスク、感染対策への協力を得られにくくするリスク、さらに人々の分断を深めるリスク等を内包し、その影響は大きいと考えています。
5. 感染拡大リスクを軽減するための選択肢
日本の新型コロナ対策は、市民の自発的な協力に大きく依存しています。そして、市民の意識は感染対策の成否に重要な役割を果たしてきました。
政府には、本大会期間中を含む今後の対策とその必要性について、人々の納得と共感を得られるような説明が求められていると考えます。そして、こうした説明と人々への協力の依頼が、できる限り早く示されることが重要です。このことは、大会後も当面の間は継続される感染対策にとっても、大変重要な礎となります。
(1)政府に対する提言:6月下旬から始めるべき感染拡大リスクの軽減策
多くの地域で緊急事態宣言が解除される6月20日以降、大会期間中を含め、ワクチンの効果で重症者数の抑制が期待できるようになるまでの間に、感染拡大による、深刻な医療逼迫をなんとしても避ける必要があります。そこで、以下の4点について検討して頂きたいと考えます。
① 感染対策の継続及び経済的支援
6月下旬以降も継続して強力な感染対策を行って下さい。同時に、これまで1年以上の間、感染対策に自主的に協力して経済的な苦境に追い込まれた、あるいはその恐れのある人々を救済する施策を迅速に実行して下さい。
② 開催までの準備
緊急事態宣言が解除されれば、感染者は再び増加に向かうリスクがあります。急激な感染拡大の予兆の監視と評価を継続するとともに、感染拡大の予兆が見られた場合には、迅速に対策の強化を決定し、実行するための準備をして下さい。
③ 開催直前の対応
仮に、本大会の開催直前になって、医療が逼迫する可能性が高まり、緊急事態宣言を出す必要に迫られる状況になれば、予定通りに大会を開催することは極めて困難になってしまいます。そのような事態に至らないよう、感染拡大の予兆を察知したら、時機を逃さずに、また事態の切迫を待たずに、強い対策を躊躇なくとって下さい。
④ 期間中の対応
仮に、本大会期間中になって、医療が逼迫する可能性が高まった場合には、時機を逃さずに、また事態の切迫を待たずに、強い対策を躊躇なくとって下さい。
(2)大会主催者に対する提言:大会におけるリスク軽減策
① 大会規模の縮小について
既に大会組織委員会におかれては、報道関係者やスポンサー等の数を制限する取り組みを進めておられます。今後も可能な限り、規模が縮小されることが重要です。
② 観客の収容方針について
リスク分析の結果からみると、当然のことながら、無観客開催が最も感染拡大リスクが少ないので、望ましいと考えます。
ただし、観客を入れるのであれば、以下の点を考慮して頂きたいと考えます。
イ) 本大会は、規模や注目度において通常のスポーツイベントとは別格である。従って、観客数を限定するにあたって、現行の大規模イベントの開催基準を適用するのではなく、さらに厳しい基準に基づいて行うべきである
ロ) 都道府県を越える人々の人流を抑制するために、観客は、開催地の人に限る。さらに、観客は、移動経路を含めて感染対策ができるような人々に限ること(例えば、地元の自治体や保護者の同意を得た上で小学生を招くことも一つの選択肢として考えられる)
ハ) 感染拡大・医療逼迫の予兆が探知される場合には、事態が深刻化しないように時機を逸しないで無観客とする
③ 国内の感染状況の悪化に応じた対策の表明
国内の感染状況の悪化に応じて、大会主催者が迅速にとるべき対策について、市民へのアナウンスをできるだけ早く行って下さい。
④ パンデミック下のスポーツ観戦と応援スタイルの提唱
各地の行政機関と連携し、パブリックビューイングを含め不特定多数が集まる応援イベントの中止、街角の大型ビジョン等での中継放映の中止、応援を主目的とした飲食店等での観戦の自粛要請を、大会関係者と検討して下さい。
大会関係者及び報道関係者におかれましては、様々な最新技術を駆使した、「パンデミック下のスポーツ観戦と応援のスタイル」を日本から提唱することにより、全世界の人々がスポーツの感動を共有できるよう、要望いたします。
6. 終わりに
大会主催者及び政府は、これまで述べてきたリスクをどう認識し、いかに軽減するのか、そして、どのような状況になれば強い措置を講じるのか等に関する考え方を、早急に市民に知らせて下さい。
大会主催者と政府、開催地となる都道県におかれましては、人々が感染対策のために払ってきた労苦を無駄にしないよう、今後も感染対策に協力して頂けるような大会運営にして下さい。
私たちは、これまでの経験から、感染の拡大及び医療の逼迫の予兆を察知したら、時機を逃さず、強い対策を打つことが必要だと考えています。今後も感染状況等を適宜モニターし、必要な対策を提言して参ります。
大会組織委員会におかれては、本見解をIOC(国際オリンピック委員会)・IPC(国際パラリンピック委員会)にも伝えてくださるよう、お願いいたします。
【謝辞】 本提言の策定にあたり、石川晴巳先生、仲田泰祐先生、西田淳志先生、武藤香織先生(五十音順)、そのほか多くの方々のご尽力を頂きました。ここに御礼申し上げます。
以上