次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について(記者会見発表内容)
2020年6月24日、日本記者クラブにおいて、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の脇田隆字氏、尾身茂氏、岡部信彦氏が、構成員一同を代表して、これまでの活動を総括するとともに、今後の感染拡大のリスクに備えて、新たな専門家助言組織のあり方を提案するため、記者会見を行いました。
会見した3名は、コロナ専門家有志の会メンバーでもあります。より多くの方に知っていただき、共に考えていただきたいとの思いから、会見時に使用されたスライドと提言書本文を組み合わせて構成しました。ノーカット映像も併せてご覧ください。
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※なお、掲載にあたり誤字脱字・重複表現を修正しています。修正箇所は末尾に記載しました。
1. はじめに
我が国では、近年、新しい感染症による深刻な打撃に直面して来なかったため感染症に対する危機管理を重要視する文化が醸成されてこなかった。こうした状況の中、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(以下、専門家会議)は、「新型コロナウイルス感染症の対策 について医学的な見地から助言等を行う」ことを目的に、本年2月の発足以来 、感染拡大のスピードに負けないよう、疾走してきた。これまでの約4か月間、この感染症に対して、計10本の「見解」と「状況分析・提言」をとりまとめるなど一定の役割を果たしてきたと考えている。しかし、同時に、緊急事態下における「専門家助言組織」のあり方等については、様々な課題も見えてきた。
本稿の目的は、感染状況がいったん落ち着いた今、次なる波への備えとして、専門家会議の構成員の立場からみた専門家会議の課題に言及するとともに、専門家助言組織のあるべき姿をはじめとして、必要な対策を政府に提案することである。
なお、本稿は、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の構成員のほか、今回の流行の対応にあたってきた複数名の専門家の意見も踏まえてとりまとめたものである。
2. これまでの取り組みについて
まずは、専門家会議の構成員がこれまでいかなる思いで、どう取り組んできたかを振り返ることとしたい。
(1) 厚生労働省「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」の活動
2020年1月30日、閣議決定に基づき、政府に新型コロナウイルス感染症政府対策本部(以下、政府対策本部)が設置された。当時は、武漢からチャーター便で帰国した人々への対応などが開始されていた時期である。
2月初頭、厚生労働省は「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」(以下、アドバイザリーボード)を設置した。国内での流行に備えて、アドバイザリーボードの発足前に、厚生労働省の要請に応える形で、同省と一部の専門家との間で意見交換が断続的に行われた(※1)。会合は、2月7日(※2)と2月10日(※3)の2回にわたって開催された。アドバイザリーボードの構成員は、ダイヤモンド・プリンセス号船内の感染管理、下船方針、PCR検査の拡充などをめぐり、厚労省から意見を求められ、それらに答えた。
一般的に、国が設置した審議会等の会議体では、政府により示された議事次第に沿って、政府提案に対し専門家が意見を陳述することが多い。アドバイザリーボードにおいても、事務局が用意した個別のテーマに対し、構成員が意見を述べるという形であった。
(2) 政府対策本部「新型コロナウイルス 感染症対策専門家会議」の発足
2020年2月14日、政府対策本部のもとに、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」が発足した(※4)。専門家会議には、「新型コロナウイルス感染症対策本部の下、新型コロナウイルス 感染症の対策について医学的な見地から助言等を行う」ことが求められていた。 構成員には、厚生労働省のアドバイザリーボードのメンバー全員が加わったほか、正式な会合には「座長が出席を求める関係者」として複数の有識者が加わった。
第1回(2月16日)(※5) では、ダイヤモンド・プリンセス号に関する対応に加え、政府から提案された相談・受診の目安に関して意見を求められて議論を行い、相談・受診の目安は、翌2月17日に厚生労働省より各自治体に事務連絡として通知された(※6)。また、第2回(2月19日)(※7)では、主として大規模イベントの開催について意見を求められ、議論を行った。しかしながら、この時点では、構成員の役割は依然として政府が提示した案に応答するだけの受動的なものであった。
(3) 「前のめり」になった専門家会議
2月中旬頃、このウイルスの感染拡大とその影響が甚大となる可能性が予期され、「これまでにも感染症対策に実際に従事してきたメンバーが中心になって、迅速に行動し、対策案を政府に伝えないと間に合わないのではないか」との強い危機感が構成員の間で高まってきた。
そのため、構成員間で非公式に話し合い、新しい感染症に相対する専門家集団としての責任感から、①政府が提示する案に応答するだけでなく、専門家側が感染状況を分析し、感染防止対策案をまとめて政府に提起する必要性、②その提案に至った理由を社会に説明する必要性、③徐々に明らかになってきた情報をもとに、市民と感染症防止策を共有する必要性について、意見が一致した。 政府が設置する審議会等において、専門家側がこうした認識をもって積極的に取り組みを進めることは、一般的ではない。
しかし、新型コロナウイルス感染症という新たな感染症による未曾有の事態を目の前にし、我々専門家が果たすべき役割は、ウイルスや感染症に関する科学的知見を収集・分析して政府に助言をするだけでなく、公衆衛生上の観点から感染予防や感染拡大防止に資する対策案も提供することであると考えた 。
そこで 、第3回(2月24日)の会議にて、構成員から「専門家と行政側がブレインストーミングできるような場を持ち、行政から検討の依頼があった個別の問題だけでなく、全体の大きな方向性や戦略などを、適宜、厚生労働大臣に進言できる体制を望む」旨を発言し(※8)、加藤厚生労働大臣の了解を得た。また、感染拡大防止への備えに関する危機感を市民とも迅速に共有すべきと考え、「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解」をとりまとめ、政府の了承も得たうえで発表するに至った(※9)。この見解の中では、それまでに明らかになった知見をもとに、感染者の状況や感染経路、最も感染リスクの高そうに思われる場について説明し、そうした場への接近を回避するよう市民に呼びかけた。
(4) 専門家会議による「見解」「情報分析・提言」
第4回(2月29日、持ち回り開催)では、地域で新型コロナウイルス感染症の患者が増加した場合に備えたクラスター(患者集団)対策や医療提供体制について意見を述べ(※10)、後に厚生労働省が発出した事務連絡に反映された(※11)。
第5回(3月2日、持ち回り開催)では、感染症対策が奏功しなかった場合のシナリオも念頭に置きつつ、医療提供体制の拡充と必要となる病床数について検討した(※12)。また、このウイルスと感染症の特徴が徐々に明らかになるとともに、北海道での感染拡大が徐々に進んでいたことから、構成員から政府に対し、市民に向けて感染者の約80%が無症状あるいは軽症であることや、北海道でとるべき対策等について助言を行った(※13)。
第6回(3月9日)では、ここまでの取り組みを踏まえて、あらためて日本がどのような戦略で乗り切ろうとしているかを市民に示す必要があると考えられたため、そうした旨を「見解」として取りまとめた(※14)。この「見解」では、日本の基本戦略として、「クラスター(集団)の早期発見・早期対応」、「患者の早期診断・重症者への集中治療の充実と医療提供体制の確保」、「市民の行動変容」の3本柱を政府に対し提案した。また、北海道で開始された対策の評価の見通しや全国の流行状況、今後の見通し等について 、政府に助言した(※15)。
第7回(3月17日、持ち回り開催)では、ヨーロッパ諸国、東南アジアやエジプトからの移入による症例増加への懸念から、入国者への対策について厚生労働省に要望した(※16)。
第8回(3月19日)の「状況分析・提言」では、北海道及びそれ以外の地域での流行状況の評価を行った。海外で見られるようなオーバーシュート(爆発的患者急増)の軌道に乗ることの懸念を示し、仮にそのような事態に至った場合にはロックダウン (都市封鎖)に類する措置が必要になること等について、政府に助言した 。
この第8回(3月19日)以降、専門家会議から発表する文章のタイトルは、それまでの「見解」 から「状況分析・提言」となり、盛り込む内容もより総合的なものに変更されている。感染が拡大傾向になるなかで、感染症対策及び公衆衛生政策上、より有効な提案を行うためには、専門家としての意見をしっかり主張するとともに、政府の考え方や実行している対策の全体像を理解することも必要であると考えたため、一定の緊張関係のもと、厚生労働省や内閣官房の職員と構成員が毎日のように議論しながら「状況分析・提言(案) 」をとりまとめ(※17)、会議ではその案をさらに徹底的に議論した。会議終了後に会議での意見を取り入れて文章を完成させ、記者会見で発表するという形式を続けることになった(※18)。
第9回(3月26日、持ち回り開催)では、専門家会議として、本感染症は今後更なるまん延の恐れが高い旨を確認して、厚生労働大臣に報告が行われた。また、新型インフルエンザ等対策特別措置法附則第1条の2第2項の規定により読み替えて適用する同法第14条の規定に基づく報告について、了承した(※19)。
第10回(4月1日)では、都市部において流行が拡大していること、特定業種に関するクラスターが発生していること、オーバーシュート(爆発的患者急増)によって医療提供体制が大きな影響を受ける危険性、地域ごとのまん延の状況を判断する際に考慮すべき指標、行動変容の必要性等について 、政府に助言した(※20)。
4月7日には、新型コロナウイルス感染症対策本部決定により、7都府県に対して、新型インフルエンザ等対策特別措置法(以下、特措法)第32条第1項に基づく緊急事態宣言が発出された。緊急事態宣言に関しては、基本的対処方針等諮問委員会が政府の諮問に対して議論し、答申を行った。また、4月16 日には、7都府県に6道府県を加えた計13都道府県が新たに「特定警戒都道府県」として指定されるとともに、それ以外の34県についても緊急事態宣言の対象とされた。
第11回(4月22日)、第12回(5月1日)、第13回(5月4日)、第14回(5月14日)では、緊急事態宣言下での国内の流行状況の評価とともに、その時々の施策の提案とさらなる課題等を政府に助言した(※21 ※22 ※23 ※24)。
第15回(5月29日)では、感染状況等の評価に加え、今後の政策のあり方や緊急事態宣言解除後における市民生活・事業活動の段階的な移行について総括を行った(※25)。また、構成員から議事概要のあり方について、政府に検討をしてはいかがかとのコメントがあり、その後、構成員の意見が集約された。その結果、 ①今後開催する会議では、発言者の氏名を明記した議事概要を作成する、②各構成員が確認・校正の上で、過去の会議分を含めた速記録の保管と然るべき時期に公表する、という対応を専門家側から政府に伝えた(※i)。
なお、専門家会議の議論では、感染症対策に関わる倫理的法制度的社会的課題(ELSI)の観点も 、「状況分析・提言」に盛り込んできた。 例えば、 感染者や家族等 、集団感染を起こした医療機関・施設への偏見や差別の解消 、一人暮らしの高齢者や休業中のひとり親家庭等の生活の支援、限られた集中治療の活用方針の議論、感染者の体験談の体系的な収集、接触確認アプリとプライバシーをめぐる議論、長期間にわたる外出自粛等によるメンタルヘルスへの影響、配偶者からの暴力や児童虐待の防止、亡くなられた方の尊厳をもった葬儀・火葬のあり方、臨床試験・治験や抗体検査の適切な実施などが挙げられる 。
※i )構成員は、 こうした取扱いについては、特に問題ないとの意見もあった反面、そもそもこの会議は議事録をつくらず、自由かつ率直な議論を行う前提で開催されてきたことを重視する意見もあった。なお、速記録は10年の保存期間後国立公文書館に移管され、原則として公表となるものである。
3. これまでの活動から見えてきた課題
政府対策本部が示した専門家会議の責務は「医学的見地から助言等を行う」こととされていた。我々はこれを「医学的・公衆衛生学的見地から感染状況の評価と分析、さらに取るべき政策について提言をすること」と認識したうえで活動をしてきた。我々としては、政府と意見交換などの連携をしつつ、他方で科学者としてのインテグリティ、つまり客観性、政治的中立性、誠実さを確保しつつ活動してきた。
しかし、これまでの活動を通じて、(1)専門家助言組織そのもののあり方や、(2)専門家助言組織の活動にも関連し、いくつかの課題が浮かび上がっている。ここではそれらの課題について述べる。
(1) 専門家助言組織のあり方について
① 政府と専門家会議の関係性について
これまでの専門家会議は、この感染症を早期に収束したいという共通の目的を達成するため、正式な会議時のみならず、一定の緊張関係のもと、時に厚生労働省や内閣官房を交え、時に専門家間だけで、今後取るべき対策を議論し続けてきた。
だが、状況が日々刻々と変わり、迅速な対応が求められるなか、本来であれば 、専門家会議は医学的見地から助言等を行い、政府は専門家会議の「提言」を参考としつつ、政策の決定を行うものであるが、外から見ると、あたかも専門家会議が政策を決定しているような印象を与えていたのではないかと考える。こうした印象には、後述するような専門家や政府の情報発信のあり方も影響していたのではないか、と考える。
② 市民への情報発信について
国内での感染拡大が目前に迫るなかで、専門家会議構成員の中で危機感が高まった。しかし、一般市民に対してその危機感が十分に伝わらなかったように思われた。そのため、2月24日に示した「見解」では、政府の了解も得たうえで、市民に直接に行動変容などをお願いするに至った。
専門家会議としては、当初は、詳細かつ具体的な事項の提案をすることまでは想定していなかった。しかし、抽象的な呼びかけではわかりにくいという指摘や、具体的なメッセージを出してほしいとの要望もあり、多くの人々に行動変容を促すため、詳細かつ具体的な事項の提案をするに至った(「人との接触を8割減らす10のポイント」、「新しい生活様式の実践例」等)。
さらに、最も感染拡大のリスクが高まった時期においては、感染症対策として人々の行動変容を促す意図から、政府へ経済的な補償・援助の要請を言及するに至った。
だが、こうした活動を通じて、専門家会議の役割に対して本来の役割以上の期待と疑義の両方が生じたものと思われる。すなわち、一部の市民や地方公共団体などからは、さらに詳細かつ具体的な判断や提案を専門家会議が示すものという期待を高めてしまったのではないかと考えている。その反面、専門家会議が人々の生活にまで踏み込んだと受け止め、専門家会議への警戒感を高めた人もいた。また、要請に応じて頻回に記者会見を開催した結果、国の政策や感染症対策は専門家会議が決めているというイメージが作られ、あるいは作ってしまった側面もあった。
(2) 専門家会議の活動と関連して見えてきた課題について
① 新しい感染症に関する研究の実施体制について
日本の感染症の臨床研究体制は十分とは言えず、多くの場合、診療に従事する医療従事者が中心となり、支援体制が充実していたとは言いがたい状況でこの感染症と直面した。また、感染症の基礎研究もその検体採取などにおいて、大きく医療機関に依存せざるを得ない状況であった。感染症指定医療機関をはじめとして、感染者を受け入れた医療機関では、感染の恐怖に最前線で接する医療従事者が、感染者の増加によって生じる心労や疲労を蓄積させながら診療を継続してきた。新型コロナウイルス感染症のような新しい感染症に関して緊急に研究を行う必要性は論を待たないものの、診療だけでも精一杯の状況下での研究の実施は、研究の種別を問わず、医療機関にとって大きな負担となるものである。
このように、新しい感染症の感染者への対応に追われる医療現場において、研究開発を行うための支援の枠組みやインフラが作られてこなかったため 、全国で網羅的かつ迅速に臨床情報や試料の収集・分析が不十分にならざるを得なかった 。
② 専門家助言組織に対する、領域横断的な専門知識のインプットについて
新しい感染症への対応であるため、専門家会議では、感染症対策を進めるにつれ、解決すべき様々な科学的疑問に直面することとなった。例えば、重症化のメカニズムやその兆候は何かなどについて新たな科学的根拠を見出したいと考えたとき、日本のどこでどのような研究が行われているかがわからないこともあったため、時間的制約がある中で、疑問の解決に最適な研究を実施しているパートナーと迅速に協働することが困難なことがあった。
また、感染症対策に資する学際的なアイデアや異論を体系的に収集し、議論する場が存在しなかったため、構成員らの個人活動の範囲で、情報収集を行うことも多かった。
③ 疫学情報に関するデータの公表について
感染症対策において最も重要な点の1つである、疫学情報へのアクセスと感染状況に関する科学的な評価とその根拠の提示については大きな課題があった。
まず、地方公共団体が保有する感染者やクラスターに関する情報の多くは、電子化されていなかったうえ、フォーマットが統一されていなかった。
さらに、平時においては地方自治に委ねられ、それぞれの自治体が独自に管理するデータについて、新しい感染症対策を行う緊急時には政府や専門家会議にも臨時に開放してもらい、データの提供、利用、公表に合意してもらう必要があった。しかし、都道府県とそれ以外の地方公共団体との関係性が個々に異なる、各自治体での個人情報の取扱いが違うなどの理由により、地方公共団体からデータの提供、利用、公表の合意を得ることは容易ではないことが多かっ た。
また、日本は世界各国と比べて、感染症疫学の専門家が不足していることも課題であった。さらに、地方公共団体のなかには、データ解析とリスク評価を行い、首長に助言をする感染症疫学の専門家が不在のところも多かった。
諸外国のなかには、主要な医療機関にサーベイランス運用を司る専門的な要員(サーベイランスオフィサー)が配置され、国のデータとしての感染者情報を迅速に収集・分析・還元するシステムが構築されていた国もあった。しかし、我が国では、特に感染者数が増大した際に、感染症サーベイランス情報が必ずしも即時に提供されないことも少なからずあった(※ii)。このため、今回の新型コロナウイルス感染症に対する対応では、各都道府県の報道発表情報を厚生労働省が収集し、これを毎日の感染者の情報として公表せざるを得なかった。
こうした事情から、諸外国のようには、迅速なデータ公開や研究、論文発表ができなかった。また、専門家会議としては、対策の根拠となったデータを迅速に公表できなかった。こうした事情が、国際的にもこれまでの日本の対策の評価を難しくさせてきたことは、大変残念であった。
※ii )各自治体の患者発生情報と病原体検出情報は、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」に基づき、感染症発生動向調査(NESID)システムに自治体が入力し、国では国立感染症研究所感染症疫学センターが、中央感染症情報センターとしてデータを収集・分析する。 このシステムは医療機関が手書きした用紙を保健所にFAXし、それを保健所職員が入力するものであるが、入力項目が多いため、患者数が増大すると報告が遅れることが多かった。 多くの国々(西太平洋地域ではベトナムやフィリピン等)では、公費を持って、サーベイランス 運用を司る専門的な要員(サーベイランスオフィサー)が主要な医療機関のレベルから大量に配置されており、国のデータとしての感染者情報を迅速に収集・分析・還元するシステムの構築に寄与していた。しかし、わが国では、医療機関は言うに及ばず、保健所、地方衛生研究所、国立感染症研究所等においても専任の担当者が不足しており、国においてもサーベイランス情報の収集が困難を極めるとともに、専門人材が量的・質的に不足していたことの影響が大きかった。
4. 政府への提案
これまで述べてきた課題を踏まえて、今後、政府に対し、(1)次の感染拡大に備えた専門家助言組織のあり方 、(2)関連して対応が求められる事項等について以下のように提案したい。
(1) 次の感染拡大に備えた専門家助言組織のあり方について(責任範囲と役割の明確化)
本来、専門家助言組織は、現状を分析し、その評価をもとに政府に対して提言を述べる役割を担うべきである。また、政府はその提言の採否を決定し、その政策の実行について責任を負う。そして、リスクコミュニケーションに関しては政府が主導して行い、専門家助言組織もそれに協力するという関係性であるべきである。
いったん大きな流行が収束している今こそ、あたかも専門家会議が政策を決定しているような誤解を避ける観点から、専門家助言組織の役割、政府と専門家助言組織との関係性についてあるべき姿を明確にする必要があると考える。こうして一定の役割の明確化が図られた専門家助言組織は、社会経済活動の維持と感染症防止対策の両立を図るために、医学や公衆衛生学以外の分野からも様々な領域の知を結集した組織とする必要がある。
また、後述するように、専門家助言組織には、政府のリスクコミュニケーションのあり方にアドバイスできる専門人材を参画させるべきである。さらに、こうした専門家助言組織が有効に機能するためには、事務局の十分なサポートもお願いしたい。
また、すでに明らかになったように、この新型コロナウイルス感染症は、様々な社会的影響をもたらす。大きな流行が収束した後に顕在化し、その後の社会に長く悪影響を残し続ける問題も少なくない。感染症対策と直接的に関わる倫理的法制度的社会的課題(ELSI)のほか、対策の推進を通じて副次的に起こりうる諸問題を迅速に先取りして議論を喚起し、政府の意思決定に資する助言をする専門家も、専門家助言組織に参加する必要がある。
なお、専門家助言組織を運営するにあたっては、その時々の課題に応じて、専門家の発意あるいは国の求めによって臨機応変に対応できるよう 、随時、 小グループによる意見交換をできる仕組みも有効であると考えられる。
(2) 関連して対応しておくべき事項
上述のとおり、これまで4か月にわたる専門家会議の活動を通じて、様々な課題も明らかとなってきた。これらについては 、①「次の感染拡大に備えて喫緊で対応すべき課題」と、今後、危機対応時における専門家助言組織を有効に機能させていくためにも必要となる ②「中長期的に対応すべき課題」 とがある。政府にはこれらの課題への着実な対応も求めたい。
① 次の感染拡大に備えて喫緊で対応すべき課題
a. 危機対応時における市民とのコミュニケーションの体制整備
新型コロナウイルス感染症対策においては、当該感染症に関する研究を迅速に進めつつ、感染拡大防止に向けた公衆衛生上の対策を実践する必要がある。危機対応時においては、まず市民が身を守るための情報を簡潔かつ明瞭に発信する必要がある。しかし、日々この感染症に対する新たな知識を積み重ね、より確からしい仮説に更新する作業が続くなか、あるいは感染状況が変化するなか、それまでの知識や対策が変わることも生じうる。事態の推移につれ、それぞれの時点で最新の知見や感染状況を反映した対策を提案するにあたっては、広く人々の声を聴き、市民の暮らしに与える影響や被害にまで心を砕いたコミュニケーションを実施しなければならない。このため、政府には、次の感染拡大を想定し、危機対応時におけるリスクコミュニケーションのあり方や体制について早急に見直しを行っていただきたい。
こうした危機対応時における、共創的なリスクコミュニケーションは、一方向的な広報とも大きく異なるものであることを踏まえた上で、次の感染拡大に備え、戦略的な情報発信を実施することができるよう、政府はリスクコミュニケーションに関する専門人材の活用方策を検討すべきである。また、政府とリスクコミュニケーションの専門家と専門家助言組織は、それぞれが相互に連携の上、政府として発信すべき情報について議論を行い、合意された内容について情報発信を行っていくべきである。
また、本感染症の対策において中心的な役割を果たす地方公共団体にとっても、国からのメッセージが端的でわかりやすいものである必要がある。政府が発出する事務連絡等も、リスクコミュニケーションの一形態と認識したうえで発出できるようにするため、専門家によるアドバイスを請うようにすべきである。
b. 専門家助言組織が設定した研究課題に関する対応
専門家が持つ専門性を活かしながら、有効な施策につながるための助言を行うためには、専門家助言組織自らが研究課題(リサーチ・クエスチョン)を設定し、その解決に向けて道筋をつけるべきである。政府においては、新型コロナウイルス感染症に対し、戦略的に対応していくため、リサーチ・クエスチョンの解決に向けて、例えば専門家会議の外にあるグループとも連携できるように積極的な支援をお願いしたい。また、必要に応じて、研究を実施しているグループから、検討の経緯や結果を確認し、議論および連携できるような機会を設定するようにしていただきたい。
c. データの迅速な共有
既に述べたようにデータの共有には様々な課題が存在する。そのため、 地域の疫学情報をもとに短時間での判断を行うためには、地域の公衆衛生を担う地方公共団体からの迅速な情報提供が不可欠である。そのため、地方公共団体の首長などの強力なリーダーシップは不可欠である。さらに、解決の一方法としては、地域の疫学情報を迅速に収集し、分析・公表できるシステムとして、新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム(HER-SYS:ハーシス)が構築されているが、このシステムの徹底的な活用に取り組むとともに、生じた課題への対応を速やかに実施し、次の感染拡大に備えて万全の体制を整備していただきたい。併せて、国はデータヘルス改革についても加速化させるべきである。
② 中長期的な課題として、対応をお願いしたいこと
a. 研究体制の計画的な整備等
感染のリスクと闘いながら感染者を診療する医療機関の負担を最大限に考慮したうえで、新しい感染症の実態を迅速に把握し、必要な研究を速やかに実施できることが重要である。そのため、政府には、感染症指定医療機関等の研究実施体制を強化したうえで、全国の医療機関が研究に協力できるようにしていただきたい(※iii)。 また、研究組織に対して人的・物的な支援が計画的になされるようにしていただきたい。
b. 感染症疫学の専門家の人材育成等
中長期の課題としては、地方公共団体が中心となってリスク評価を行っていく体制の整備を図るため、国においては感染症疫学専門家の養成を強化し、各地方公共団体への配置を進めるべきである。感染症危機の際、政府は、専門家助言組織が、各地方公共団体に配置された感染症疫学専門家と緊密に連携できる体制を取れるよう支援することが、感染症の早期収束につながるものと考える。
※iii)具体的には、感染者の試料や臨床情報を全国で収集・分析する体制が稼働できること、緊急時であっても関連法令・指針を遵守して優先順位の高い臨床試験・治験を迅速に開始できる支援体制を構築できることである。
5. 終わりに
これまで専門家会議は、新型コロナウイルス感染症による重症者及び死亡者を少しでも減らしたいというただ一点の目的のためだけに、がむしゃらに対応にあたってきた。本稿では、次なる波に備えるため、専門家助言組織の役割と責任等に関し、喫緊に改善すべきことと中長期的に対応すべきことについて提案した。政府においては、本提案を踏まえ、必要な対策を着実に講じていただきたい。
過去4か月間の専門家会議の活動は、計10本の「見解」と「状況分析・提言」に集約されている。末尾となったが、これらを公表し続けることができたのは、厚生労働省職員 、内閣官房職員の多大な努力による面も大きい。また、専門家会議の構成員は、有志の専門家から個人的に有形無形の応援や適切な助言を受ける機会もあり、我々にとって大きな支えとなった。ここに深く感謝申し上げたい。
新型コロナウイルス感染症専門家会議 構成員
岡部信彦 川崎市健康安全研究所 所長
尾身 茂 独立行政法人地域医療機能推進機構 理事長
押谷 仁 東北大学大学院医学系研究科微生物分野 教授
釜萢 敏 公益社団法人日本医師会 常任理事
河岡義裕 東京大学医科学研究所 感染症国際研究センター長
川名明彦 防衛医科大学校 内科学講座(感染症・呼吸器)教授
鈴木 基 国立感染症研究所 感染症疫学センター長
舘田一博 東邦大学 医学部 微生物・感染症学講座 教授
中山ひとみ 霞ヶ関総合法律事務所 弁護士
武藤香織 東京大学医科学研究所公共政策研究分野 教授
吉田正樹 東京慈恵会医科大学感染症制御科 教授
脇田隆字 国立感染症研究所 所長
この文章について助言をくださった専門家の方々
今村顕史 がん・感染症センター 都立駒込病院感染症科 部長
大竹文雄 大阪大学大学院経済学研究科 教授
大曲貴夫 国立国際医療研究センター 国際感染症センター長
小坂 健 東北大学大学院歯学研究科国際歯科保健学分野 教授
賀来満夫 東北医科薬科大学医学部 特任教授
齋藤智也 国立保健医療科学院健康危機管理研究部 部長
砂川富正 国立感染症研究所 感染症疫学センター第二室 室長
田中幹人 早稲田大学政治経済学術院 准教授
中島一敏 大東文化大学スポーツ・健康科学部健康科学科 教授
西浦 博 北海道大学大学院医学研究院衛生学教室 教授
和田耕治 国際医療福祉大学医学部公衆衛生学 教授
<文献>
※1)新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード相談内容(概要)(2月4日~6日)
※2)新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード議事概要(2月7日)
※3)新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード議事概要(2月10日)
※4)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の開催について(2月14日新型コロナウイルス感染症対策本部決定)
※5)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(第1回)議事概要(2月16日)
※6)厚生労働省「新型コロナウイルス感染症についての相談・受診の目安」を踏まえた対応について(事務連絡2月17日)
※7)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(第2回)議事概要(2月19日)
※8)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(第3回)議事概要(2月24日)
※9)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解」(2月24日)
※10)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(第4回持ち回り開催)議事概要(2月29日)
※11)厚生労働省「地域で新型コロナウイルス感染症の患者が増加した場合の各対策(サーベイランス、感染拡大防止策、医療提供体制)の移行について」(3月1日事務連絡)
※12)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(第5回持ち回り開催)議事概要(3月2日)
※13)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の見解」3月2日)
※14)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(第6回)資料(3月9日)
※15)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の見解」(3月9日)
※16)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(第7回持ち回り開催)資料(3月17日)
※17)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(第8回)資料(3月19日)
※18)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(3月19日)
※19)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(第9回持ち回り開催)資料(3月26日)
※20)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(4月1日)
※21)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(4月22日)
※22)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(5月1日)
※23)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(5月4日)
※24)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(5月14日)
※25)新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(5月29日)
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6ページ4行目:アカデミアにおける→(削除)
7ページ注釈内5行目:フィリビン→フィリピン
10ページ2行目:なされるに→なされるように
10ページ注釈内1行目:臨床情報や→(削除)